チラ裏

チラシの裏に書くレベルの、個人的な日記・整理・備忘録です。

ゲームは体験して完結する

 ゲームプレイ動画を見ただけで、自分では一切プレイしていないゲームを”ゲームレビュー”したことが、話題になっているが、これは分からんでもないが、ひとつ短い実体験の話をしよう。

 

 アラン・ウェイクというゲームがある。もう15年も前のゲームになるのか。細かい説明はWikiで確認してもらいたい。下記リンク。表題はアルファベット表記だが、記事内説明は日本語です。

ja.wikipedia.org


 ゲームシステム的には、アクションパートをクリアすると、アメリカン・ドラマ仕立てのムービーが始まる。その繰り返し。
 そのドラマ脚本が本当に魅力的で、ぐいぐい引き込まれる。
 この作品に最初に触れたのはニコニコ動画の、プレイ動画(ゲーム内実況なし)で、スタートからクリアまで観賞した。
「いやぁ、いいストーリーだったなぁ。まぁ、これでこのゲームはやらんで済んだな」
 という感想だった。

 

 そこから数年して、中古ソフトで安かったのか、友人がワゴンセールで買ってきてくれたのか記憶が定かではないが、手元にソフトが来た時、丁度進めているゲームもなかったので、まぁ、ゲーム内容もストーリーも知っているけど、最初だけ触っておくか的な軽い気持ちで、プレイすることにした。
 クリアまでやるつもりはなかった。

 

 マリアナ海溝より深く反省した。
 ゲームは自分で操作してナンボだと。自分でプレイした方が全然面白い。物凄い面白い。とんでもなく面白い。
 知っているはずのステージ、ギミック、敵の動き、ストーリーなのに、体験・体感するものは、全く違う。
 もうプレイ動画で見知っているゲームなのに、のめり込むようにプレイして、クリアした。

 見ているだけの時も、ドキドキしたが、実際にプレイしてみると自分の脈拍と鼓動が乱れ、コントローラーを握る手を動かそうとしている緊張感の体験・体感は、比にならないほど、自分を刺激する。
 これが映画(映像作品)とゲームの違いだ。
 見ているだけなら映画と一緒なのだ。ゲームは操作するパートがあるから、「ゲーム」なのだ。
 その経験があるがゆえに、俺の中では、見ただけで、そのゲームを評価してはいけない、評価するなら必ずプレイするという教訓になったし、アラン・ウェイクというゲームは神作に位置している。

 

 ということで、最初の話題に戻るが、俺個人としては、「実況プレイを見ただけのゲームレビューは、”ゲームレビュー”ではない」ということになる。体験・体感がなくてはゲームではない。
 どうしてもそういうレビューを評価するのであれば、「プレイ動画”観賞レビュー”」という位置づけで、そのレビューを評価すべきかもしれない。
 その中で見える範囲のゲーム作品評価はしていいと思うが、大枠としては「プレイ動画の評価」の中に納まる範疇にしておくべきだろう。具体的に言えば、主がプレイ動画の評価、従がプレイ動画の中でゲームが役割を果たした部分の評価、これなら、レビューとしてスジが立つかもしれない。

 

 そして、アラン・ウェイクの続編、アラン・ウェイク2が、2025年10月のプレステプラスフリープレイに登場です!(なんだよ、お前、ソニーのまわしもんかよ)

blog.ja.playstation.com